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福岡高等裁判所 昭和51年(ネ)593号 判決 1977年12月13日

控訴人(附帯被控訴人)

右代表者法務大臣

瀬戸山三男

右指定代理人

武田正彦

外一名

被控訴人(附帯控訴人)

高広政幸

右訴訟代理人

井上允

主文

控訴に基き、原判決中、控訴人(附帯被控訴人)敗訴部分を取消す。

被控訴人(附帯控訴人)の請求を棄却する。

被控訴人(附帯控訴人)の附帯控訴を棄却する。

訴訟費用は第一、二審(附帯控訴費用を含め)とも被控人(附帯控訴人)の負担とする。

事実

一  控訴人(附帯被控訴人、以下単に控訴人という)は、控訴につき「原判決中控訴人敗訴部分を取消す。被控訴人(附帯控訴人、以下単に被控訴人という)の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決並びに附帯控訴につき「附帯控訴を棄却する。附帯控訴費用は被控訴人の負担とする。」との判決を求めた。

被控訴人は、控訴につき「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決並びに附帯控訴として「原判決を次のとおり変更する。控訴人は被控訴人に対し二五〇万円及びこれに対する昭和四五年七月二日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも控訴人の負担とする。」との判決を求めた。

二  当事者双方の主張並びに証拠関係は、原判決の事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

理由

一原判決の理由一及び二の1ないし3、同二の5並びに同三の認定判断は、当裁判所の認定判断と同一であるからこれを引用する。

二請求原因(三)の(1)のうちの渡辺広次に対する熊本市清水町万石の道路側溝工事に関する職務強要事件について、

右事件に関し、被控訴人は熊本市民生部労働課技術員渡辺広次に依頼して、同市清水町万石の道路側溝工事をしてもらつたことはあるけれども、それは被控訴人において強要したものではなく、右渡辺が快く引受けて工事を施工してくれたものであつて、起訴時の証拠によつても、同人に対する強要罪を認定するに足りる合理的な証拠は存在しなかつた旨主張するので判断するに、

1  <証拠>を総合すると、被控訴人の右渡辺広次に関する強要の公訴事実の要旨は「被告人(被控訴人)は昭和三八年一〇月上旬頃、熊本市技術吏員渡辺広次を熊本市清水町万石地内道路に呼出した上、同所の側溝工事を命じたところ、同人が困惑して拒否したのに対し『俺は市会議員だからその位の事は出来る』、『何ばあんたが心配するな、心配せんでもよか』等申向けて、早急に着手するよう指示したが、該工事が認証外工事であり、かつ、管轄外のものであつたことから、同人がその工事に着手していなかつたことに立腹し、同月八日頃同人を電話に呼出し、『工事はまだしかからんとな、市会議員の言うことばきかれんとな、俺が上にいうて責任をとるけんよかろうもん』、『あゝたにや責任がなかつだけん、早よ仕掛りなつせ』等暗に自己の地位権勢を示し、もし右要求に応じないときは、同人の地位身体等に対し、如何なる危害を加えまじき態度で脅迫して、被告人(被控訴人)の地位、素行、来歴等を知悉している同人を困惑畏怖させ、同人をして同所の側溝工事を行わせて、同人の職務に関し義務なきことを強要した」というのである。そして、右起訴事実につき第一審の熊本地方裁判所はほぼ右公訴事実どおりの職務強要の事実を認めてこれにつき有罪を認定したが、控訴審裁判所は、被告人(被控訴人)が渡辺広次に指示要求して緊急失業対策予定計画(認証工事)外である熊本市清水町万石地内の側溝工事を施工させ、これに失対労務者を就労させたことは認められるけれども、被告人(被控訴人)が、右渡辺広次から右工事が管轄外でもあることから拒絶されるや「役所の方には自分がたのむから、市会議員ならその位はできる。なんでお前が心配するか」などといつて、強く施工を要求したが、渡辺が着工をしないでいたところ、四、五日して更に電話で、渡辺に対し「はようやらんな、上の方には自分がいうとく、自分が責任をもつから」というので、渡辺において、ともかくも工事をはじめることにしたということが認められるが、右の被告人(被控訴人)の言動は、未だ渡辺の職務行為を強要するに足るだけの脅迫行為であるとまでは認められないし、又公判廷における証人尋問の結果をも総合して被告人(被控訴人)が自らの勢威を利用し、渡辺を脅迫する意思を有していたことを認めることも十分でないとして、これを無罪にしたものであることが認められる。

2  ところで、弁論の全趣旨によると右事件に関する起訴当時における関係証拠資料としては、乙第一〇九ないし同第一四八号証並びに被告人であつた被控訴人の司法警察員に対する供述調書が存在していたことが明らかである。

3  そうして、<証拠>によると、被害者である渡辺広次は、司法警察員に対し、大要次のような供述をしていることが認められる。

昭和三八年一〇月上旬頃の午後一時頃、被控訴人が水前寺の詰所に来て、渡辺に対し現場を見に行くので車に乗るよう求め、車中工事現場が清水町万石地内の側溝工事である旨言つたので、渡辺において、工事が認証外のものであるばかりでなく、場所が水前寺詰所の管轄外でもあつたので、その旨言つてできないと断つたところ、被控訴人は「市会議員だけんその位のことはできる。何んばあゝたが心配すつとな、心配せんでよか」といつて耳をかさなかつた。現場に着いてからも渡辺は、被控訴人に、管轄外であるので管轄の坪井詰所してもらうよう言つて断つたが、被控訴人は「上の方には俺が話しをしとくから、明日かなでも直ぐやれ」と強く言われたので、その場は一応承諾したが、工事着工を見合せていたところ、一週間位後、被控訴人から電話で「工事にやまだしかからんとな。市会議員のいうことはきかれんとな。俺が上に言つて責任をとるけんよかろうもん、あゝたにや責任はなかつだけん、早よ仕掛りなつせ」と怒つたような大きな声で工事の着工を催促された。そこで、渡辺は相手が市会議員であり、遊び人の親分であつた者でもあるから、それ以上断われば、将来市職員としての身分上不利益を受けるかも知れないとおそれ、それ以上断わる勇気もなく、いやいやながら、失対労務者を使用して、同工事に着工した。

4  右の点に関し、<証拠>によると、被控訴人は司法警察員に対し、大要次のような供述をしていることが認められる。すなわち、

昭和三八年一〇月頃、上野という人から清水町万石地内の側溝工事を頼まれたので、それまで快く工事をしてくれている渡辺にその工事をしてもらおうと思い、水前寺詰所に渡辺を迎えに行き、途中上野方に寄り、一緒に現場に行き、渡辺に側溝工事を依頼したところ、同人は快く引受けてくれたものである。同人からは、車中でも現場でも、認証外の工事であるとか、管轄外であるとか言われたことは全くなく、断わられたこともない。また、一週間位後に、電話で工事の着工を催促したかどうか記憶しない。渡辺とは知りつくした仲であり、市会議員になつたからといつて、それを口に出していう程水くさい仲ではない。

と述べていて、被害者渡辺の供述と対立する供述となつている。

5  そこで、本件においては、右両者の供述のいずれに信用性を認むべきかが問題となるのであるが、<証拠>によると、刑事事件における控訴審においては、「被告人は昭和三八年一〇月上旬、熊本市民生部労働課水前寺詰所勤務の現場責任者の地位にある渡辺広次を水前寺詰所にたずね自動車で、同市清水町万石に連れて行き、同所の側溝工事を依頼したが、同所の工事は管轄外であつたことから同人がこれを拒絶するや、『役所の方には自分が頼む、市会議員ならそれ位のことはできる。なんでお前が心配するか』などと言つてなお強く施工を要求したが、渡辺は確答を避けていたところ、四、五日して、被告人が電話で渡辺に対し『はようやらんな、上の方には自分がいうとく、自分が責任をもつから』というので、渡辺はともかく工事を始めることにした」と認定して、前記渡辺の供述にそう外形的事実を認定しているのであるが、ただ被控訴人(被告人)の右言動が、職務行為を強要するに足りる程度の脅迫行為であるとまでは認められないとして無罪にしたものであつて、本件においては結局被控訴人の当該言動をどのように評価し、被害者とされた渡辺がそれをどのように感じ取つたかということが、犯罪成否の分れ目とされたものであつて、起訴時における検察官のその評価に合理性があつたかどうかの問題に帰することになる。

(一)  しかして、<証拠>を総合すると、次のような事実、すなわち、

(1) 被控訴人は、熊本市春竹の尋常高等小学校卒業後同市内の自動車修理工場の修理工となり、昭和一九年現役兵として入隊し、終戦後一年位抑留生活を経て同二一年復員し、トラツクの運転手や「三ツ玉遊び」、「ビンゴ」等の遊技場の経営をへて、同二九年頃から売春防止法施行に至るまでいわゆる「特飲店」を経営し、その間建設業の登録をし、売春防止法施行により、右特飲店を廃業してからは、金融業の許可を受け金融業をしていたこと、そして、その間昭和二九年頃、傷害罪により罰金三〇〇〇円、同三三年頃暴力団の抗争による兇器準備集合罪により懲役二年に処せられ、同三五年五月頃、刑務所を出所し、その後は、土建業「高広建設」を設立して土建業を営んでいたが、世間の人からは「遊び人」「ヤクザ」の組織である「広高組」の組長と目されていたこと、

(2) 被控訴人は、昭和三五年五月に行われた熊本市議会議員の選挙に当選して市議会議員となつたものであるが、右選挙に際しては、もと市議会議員であつて、県議会議員となつた村山義雄の地盤をもらつて立候補したものであるが、自己固有の選挙地盤がなかつたので、右当選直後から、その地盤の培養を目的として、市住民から依頼されるまま、市議会議員の権勢を背景にして、市職員に指示して、道路整備を行わせることに大変熱心であつたこと、

が認められる。

(二)  以上のような、事情の下において、被控訴人は、渡辺をして本件清水町万石の側溝工事を行わせたものであるが、<証拠>によると、渡辺は、被控訴人の要求により失対人夫を使用して道路工事をしたことについて、「失業対策事業は、毎年の事業計画を労働大臣に提出して、その認証を受けなければならず、その認証を受けた認証工事だけについてだけ、失対人夫を使用して工事をすることができ、認証工事以外には絶対に失対人夫を使用して工事することは禁止されていた」、しかし「市議会議員である高広政市さんが無理に施行せよと強要されますので、市役所の職員として、市議会議員で、しかも、以前遊び人の親分であつた人ですので、これに従わないと、後でどんな身分上の不利益を受けるかわからず、仕方なくやりました」と述べ、更に「市議会議員は市においては絶大の権力があります。市議会議員は、課長、係長でも、自宅に呼び付け、叱り付け、自分の言分を通す位は平気で、人事問題にも自由に介入し、職員の採用配置換え等相当のことは自由に出来るのです。従つて職員は市議会議員といえばぴりぴりし、何を頼まれても否とは言えないのです。特に高広さんは市議中でも力の大きい人ですのでおそれられていました。又高広さんは遊び人の親分で、集合罪で警察に捕つた人でもありますので格別です。」、「高広さんの言われた『市会議員の言うことはきかれんとな』という意味は一種の脅しなのです。もしいやと言えば、今後身分上の不利益をされるかわからないと直感した」と述べている。そして、市議会議員としての被控訴人が、熊本市役所内でその地位、経歴を背景にして権勢を有し、その要求を断われば身分上不利益を受けるのではないかと市職員の間においておそれられていたことは<証拠>により明らかであり、また、<証拠>によると、現に被控訴人が、市職員の配置、転換等の人事について、種々要求をしていたことがあつたことが認められるのである。そして、特に、<証拠>によると、被控訴人が渡辺に命じてさせていた認証外工事である本件工事着工後、間もなくして、そのことを労働課の上司が知り、鶴亀工事主任に命じてこれを中止させたところ、被控訴人は、失対労務者はいわゆる認証工事外の工事に使用してはならないことを知っていながら、同工事が中止されたことに立腹し、直ちに市民生部長室に押しかけ、同部長、同部次長、課長ら等に対し、「与党議員がさせている工事を何でやめさせるか」と語気荒く抗議し、八木課長が「水前寺詰所が人夫を連れて行つてするのは管轄外の工事であり、認証外の工事はすることができないので、やめて貰わねば困る」旨返答すると、被控訴人は右の者らに対し「失対人夫達の間では、時間中に花札をしたりしている者がある」、「失対工事が遅れている」、「市の監督がなつとらん、始末書問題ものだ、市長のところに行つて話してくる」と言つて、些細なことに因縁を付けて、前記の職員らに始末書を書くよう迫り、一時は右職員らが始末書を書かなければならないようにまでなつたことが認められるのであつて、これらは、被控訴人が渡辺に命じてさせている万石の工事を中止させたことに対する市の管理職員に対するいやがらせであつたことは明らかである。これらの事実等を併せ考えるとき、市の失対事業の末端の一職員(現場監督)に過ぎない渡辺が、前記乙第一〇九号証において供述しているように、被控訴人から管轄外、認証外の本件工事をなすことを要求され、一旦その旨を言つて断つたけれども、再度指示されたため、もしこれを断われば将来身分上の不利益を受けるかも知れないとおそれたことは、あながち無理からぬものと評価することができるのであつて、その結果、渡辺が本件万石の工事をはじめたとする同人の乙第一〇九号証の供述は、被控訴人の前記否定する供述があつても、一応これを信用することができるものと考えることには十分な合理的根拠があつたものということができる(特に一般に、暴力事犯においては、被害者及び関係人は、後難をおそれて事実を語りたがらない傾向にあることは顕著な事実であるところ、まして、本件において、背任罪の嫌疑で取調べを受けているわけでもない現場の一職員に過ぎない渡辺が殊更にありもしないことを述べて、権勢を誇つていた被控訴人を罪に陥し入れようなどとは到底考えられないことである)。また、前記民生部長室の被控訴人の言動と前記渡辺の供述調書の供述等からして、被控訴人は、当初から本件万石の工事が認証外工事であることを知つていながら、自己の選挙地盤培養のため、自己の市議会議員の地位、権勢を利用して無理やりにこれを開始させる意思であつたことも十分推認され、またそう推認することも、決して不合理ではなかつたと考えられる。

(三)  もつとも、<証拠>において、被控訴人は、それまで渡辺には快く工事をしてもらつており、本件でも快くよく引受けてくれた旨供述していることは前記のとおりである。そして、<証拠>によると、渡辺は本件万石の工事の前にも、被控訴人の要請により、岡田町の側溝工事及び本庄町のコンクリート舗装工事をしていることが明らかであるが、渡辺が被控訴人の要求によりはじめて右岡田町の工事をするようになつたいきさつについて、同人は<証拠>において、「昭和三八年五月ごろ、被控訴人から家に来るよう電話があり、家に行くと、現場に行くので一緒に来るよう言われて一緒に現場に行つたところ、側溝の工事をするよういわれた。しかし、右は認証外の工事であるので、労働課の許可がないとできない旨いうと、認証外なんか心配するな、俺が上に言うけん安心してせよと言われ、更に翌日被控訴人から電話で、上に話をしておいた、セメントは土木課の佐藤に頼んでおいたので仕事にかかつてくれと言われたので、やむなく工事をした」旨述べていて、同人が進んで快く工事をしたものでないことが認められる。これに対し被控訴人は甲第三三号証において、「三八年五月頃、椿と村上が、渡辺を連れて自宅に来て、豊肥線線路の溝が、雨が降れば逆流して付近の家に流れ込むので何とかしてほしいといい、渡辺も工事をやつてよいというので、翌日、現場を見た後、渡辺に工事を頼むと、同人はやりませうと快く引受けてくれた」と述べていて、前記渡辺の供述と異つた供述をしている。ところで、この点につき、右椿は乙第一三一号証において「豊肥線線路添の道路は、雨が降ると道が悪くなるので、側溝を作つて貰おうと、村上と二人で高広さんに頼むことにしたが、家を知ないので、渡辺に道案内をしてもらつた」として、その供述には、渡辺に被控訴人方の道案内をしてもらつて、渡辺と一緒に被控訴人方に行つたことに関しては被控訴人の供述と一致する点があるけれども、工事の施工については、「岡田町の道路の側溝工事をしてくれなど渡辺に頼んだわけではない」、「その時陳情書をもつて行つていなかつたので、改めて村上と二人で高広方に陳述書を持つて行つた」旨述べていることからして、その時渡辺は、単に椿ら両者の道案内をしたに過ぎないことが明らかであつて、その際、自分から進んで被控訴人に対し、その側溝工事をやつてもよい旨言つたとする被控訴人の前記供述は右椿の供述に対比してもにわかに信用し難いものがあり、むしろ、渡辺の前記供述の方が信用性が高いと評価することができる。

そうすると、本件万石の工事の前にも渡辺が前記のような工事をしていることをもつて、本件万石の工事をするに至る事情に関する前記渡辺の供述の信用性を否認する根拠とすることは十分ではないということができ、渡辺が快く本件工事を引受けたとする被控訴人の供述は疑わしいものといえる。

(四)  また、被控訴人は甲第三三号証の供述調書において「渡辺とは知りつくした仲で市会議員になつたからといつてそれを口に出していう程水くさい仲ではない」と述べて、本件強要の事実を否定する根拠としているのであるが、一方、同調書二項では、渡辺との従来からの関係について、次のように述べている。すなわち、

①「渡辺は私が十六、七才の頃、渡辺の近くにいた木原銀一のところに遊びに行つたので、知つている。親戚関係等なく、単なる顔見識り程度の遊び友達で、映画や楽団を二、三回一緒に観に行つた程度でした。昭和一九年頃兵隊に行き、その後は全く交際はしていなかつた」、②「昭和三八年四月市議会議員に選挙に当選してから村山の地盤を引継ぎ、村山が渡辺の所属していた熊本市従業員組合の顧問を、村山に替つてするようになり、渡辺がその執行委員長をしていたこともあり、職務上交際するようになつた。個人的には一緒に飲みに行つたり、遊びに行つたり、又家族間の交渉等もしていない」、③「昭和三九年五月本庄町に家を移つてからは五、六回家に来たことはあるが、それは組合の問題、工事についてのことである」、④「六月と年始には組合の幹部が家に来ていた」、⑤「組合幹部四、五人が高利貸から金を借りて困つていたことがあるので、市の部長らに話をし信用金庫から融通を受けるよう取り計い、その保証人に立つてやつたことがある」と述べていることが認められる。

他方、渡辺はその関係につき乙第一〇九号証において、「彼控訴人は昭和三八年四月の選挙で県会に出馬した村山の地盤を譲り受けて、市会議員に立候補したが、村山が組合に来て、高広を組合で推するようにしてくれというので、組合で被控訴人を推すように決議したので、私は副委員長をしていた立場上、応援せねばならなくなつたが、特別に運動したわけではない。」「被控訴人とはそれまで顔を知つている位で、何の関係もありませんでした。被控訴人は市議に当選後村山に替つて組合の顧問となつたが、私と被控訴人との関係は右の関係のほか何の関係もない」旨述べているのである。

右両者の供述を対比してみても、両者が特に脅迫行為の介在する余地のない程親密な関係にあつたとまで認めるには十分でないと評価することができるのである。すなわち、被控訴人がいうように十六、七才の頃一緒に遊んだ事があるとしても、被控訴人もいうように、被控訴人と渡辺とが直接の友達であつたというのではなく、渡辺の近所にいた木原が被控訴人の友人であつたので、同人のところに遊びに行つたことから同人を介して知つているという程度の友達であつたに過ぎないといえるから、渡辺が、被控訴人を単に顔見知りに過ぎないと述べていることを殊更に異とするに足りないものということができるし、被控訴人が述べる前記③、④の点も、いずれも本件万石の工事の件よりも後の昭和三九年五月以後の事柄であるし、⑤の件も甲第二二号証によると本件工事よりも後の昭和三九年末頃のことであり、かつ、渡辺個人に対するものというより被控訴人が顧問となつている組合員一般のためにしたものであることが認められるので、それらのことの存在をもつて、被控訴人と渡辺の間の関係が脅迫行為の介在する余地がない程親密であつたとすることには疑問があるので、本件についての被控訴人の供述が、渡辺の供述より信用性が高いとすることはできない。

(5) なおまた、<証拠>によると、渡辺は従業員組合の前顧問であつた村山義雄と親しく、終戦後熊本市の失対人夫をしていたが、昭和三四年頃から同人の選挙運動をしていたものであるが、同年一〇月頃村山の力添えで、熊本市の正職員である労働課の技術員になつたため、同人に恩義を感じ、同人のため恩返をしたいと思つていたことが認められるが、右渡辺の供述によると、それはあくまでも村山自身に対する感情であつて、被控訴人には特に恩義があつたわけではないことが明らかであるので、右村山と渡辺との関係から、直ちに渡辺が本件当時、被控訴人のため、進んで種々行為をしたとまで認定することは十分でない。したがつて、本件に関する渡辺の供述を信用できるとしたことは決して不合理でなかつたといえる。

6  以上のとおりであるので、検察官が起訴当時までに収集した資料により、被害者である渡辺広次の前記3の供述が信用できるものと評価し、<証拠>を総合して、前記本件起訴事実のように事実を認定し、渡辺広次をして万石の側溝をさせたことを職務強要行為に該当するものと判断したことは客観的合理性があつたものということができ、したがつて、これを起訴したことをもつて違法とすることはできない。なお、被控訴人は、右起訴のみならず、起訴後の公訴の維持、勾留をも違法である旨主張するが、その理由のないことは、原判決の理由二の2の(三)の判断と同一であるからこれを引用する。

三そうすると、被控訴人の本訴請求はいずれも理由がないのでこれを棄却すべきである。<以下、省略>

(亀川清 原政俊 松尾俊一)

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